徒然雑記
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古田織部 お茶やお花、陶芸をたしなむ人ならこの人物の名を知らぬものはないと思うが 正式には古田織部正重然(ふるたおりべのかみしげなり)、通称は左介 そもそも織部とは... 律令制度の官職名。大蔵省に属し、いにしえからの綾・錦・羅などの織物・染物のことをつかさどった役所の事。但し、平安以降になると官職は名ばかりとなり、官職名がそのまま身分(家柄)を示すようになっていったようです。例えば戦国武将は官職名で呼ぶ事が多い。 例: 加藤清正→弾正(だんじょう:武人が一番欲しがった官職名、いかにも強そうです) 石田三成→治部少輔(じぶのしょう:三成っぽい頭よさそうです) 豊臣秀長→大納言(だいなごん:すごく偉そうな感じ、でもイヤミはないです) 古田左介→織部(おりべ:何とも言えない春風のような爽やかな響きです) お茶やお花、陶芸をたしなむ人ならこの人物の名を知らぬものはないと思うが 恥ずかしながら私はこの人物の事をつい1年ほど前まで全く知らなかった。 週間モーニングKCで「へうげもの」(著、山田芳裕氏)という漫画が連載されはじめたのを期に主人公の古田織部なるひょうげた人物に興味を持つようになった。 というよりも 20代前半の頃、自分がどのように生きたらいいのか 常に後悔しない行き方をするにはどうすればいいのか その答えを探すのに 動乱の激しかった戦国時代に生きた武将達の伝記や小説を読んで 自らの生きる方向性を見出そうと模索し続けていた。 彼らは強く、勇敢でその志は真っ直ぐで、時にずる賢く腹黒で、死を前にしても後悔などなくすごい人ばかりであった(実際はそうではないのだけどね) そんな戦国オタクを自負する私にとっては古田織部はカルチャーショックそのものであった。戦国時代はとかく力の強い者、下克上の世界で勝ちぬいた者だけが勝者になれたような感じだが、古田織部を見ていると決して力とか権謀術数ばかりではなかった事が伺える。 あくまで史実を元にしたフィクションであるが この漫画は戦国ものにしては異色作で、武人でありながら数奇の道を極めたいと主人(信長)に対する忠儀と数奇の間で揺れ動く古田の心の葛藤がなかなか面白い。 時に茶碗一枚で裏切り者の武将(荒木村重だったか)を逃がしてしまうシーンなどは出世をとるか、趣味の世界をとるかの現代人にも合通ずるものがある。 それが結果的に良い方向へ転がり、千利休などと交流の機会を得、才能を開花させ天下の数奇者、古田織部につながっていく 古田が数奇者になってしまったのは もともと信長の近習として、信長のそば近くでいつも茶道具や舶来の名品を見る機会が多く、そういった時に目が肥えたのではないかと思われる。また、父が茶の湯の名人であった事にも多大な影響があると考えられる。 回が進むにつれ古田がますます数奇者ぶりに拍車がかかるところが面白い。 また、利休が自らの茶室に秀吉を迎え入れる時に庭に咲いた花(確かキキョウだと思ったが)をすべて摘みとってしまい、 秀吉に「なんだ花が満開だと聞いてきたのになにも咲いてないじゃないか」と言われ、 利休が「いいえここに咲いてございます。」と、せまい空間の小さな床の間に1輪だけ咲いている花を見せる場面などもまた面白い。 広い場所にたくさんあるとその花自身の美しさは薄れる 限りある質素な空間にたった1輪あればその花の美しさは際立つ 無駄を省く事によってうまれる美、不完全なように見えて計算された形の美しさ 現代のいけばなの基本になっていると考えられる。 当然古田もこの利休の精神を踏襲していると思われる。 戦国ものの漫画で異色作と言えば、15年位前になるだろうか「花の慶次」という作品が有名だが(原作、一無庵風流紀 故隆慶一郎氏) 最近、パチンコ台にもなった。現代ではなぜか超有名なマイナー武将(笑) この主人公、茶を愛し、花を愛し、風流を極めた天下の傾寄者、前田慶次の場合は資料があまり残っていないようである。 唯一、公式な文書で徳川方佐竹か伊達か(忘れた)と戦った時に、上杉重臣直江兼続に味方した慶次が見た事もないような派手な衣装でたった一騎で敵の陣に 突っ込んで行き、鬼人のような戦いぶりをした。まさに前田慶次は天下一の傾寄者である。という資料が残っている程度のようで、ほとんど想像で書かれたようだが 同じ時代に生きた古田織部の場合は悲劇的な最後をむかえたにもかかわらず、かなり正確にその足跡や資料が残っているようで、美濃地方(岐阜県)一帯で信長が美濃焼を庇護し六作を公式に援助していたが、信長亡き後はパトロンのいなくなった美濃焼きは廃れ気味であった。 そこへ、古田が大名となり織部という官職を戴き、自らの出身地である美濃地方一帯の窯元に私財をなげうって美濃焼の窯元に新たな名を与え(織部十作)多大な援助した。 援助をしたはいいが、戦に行く金がなくなり、他の武将に金を借りるところなど、 これまた人間身があって面白い 先日地図を広げていると岐阜県土岐市に 織部の里、美濃焼資料館なるものを発見した。 早速行ってみるとなるほど興味深い。ゆがんだ茶碗、ひしゃげた花瓶、幾何学的な絵付け。 黒い均衡のとれていない器などは静と動が合体した利休と古田の合作のような感じがして感動で心がつまる。 なっなんと、古田織部正様の人形(焼き物)までいらっしゃる。 そして桃山当時の元屋敷窯の遺跡があり、その場で織部焼の体験まで出来てしまう。なかなか興味深い。(現在の織部焼きは古田織部の死後、織部のアイデアや考えを踏襲して作られたもの) 友達や恋人、奥さんなど誘って行ってみるといいかもしれない。 「焼き物なんかに興味がない」と言われても 土岐プレミアムアウトレットのすぐ近くなので、「アウトレットにも寄るよ」と言えば必ずついて来るはずである。 また、岐阜県可児市の花フェスタ記念公園にはわび、さび、数寄を極めた織部の茶室なる建物があるようだ。その他にも「織部好み」と呼ばれる桃山時代に一大流行した庭園や織部と名のつく文化的遺産が岐阜県には数多く残っているようである。 (岐阜県では織部プロジェクトなる文化プロジェクトを立ち上げ後世に残そうと頑張っているようです) この地方にこのような一風変わった文化人がいたとは(漫画の印象が強いので) 何ともおかしい気持ちになってくるものである。 最近では嫁さんのへそくりで名馬を買った事で有名な武将の山内一豊や 存在すら定かでなかった信玄の軍師、山本勘助など マイナーな武将がNHK大河ドラマで主人公に取り上げられているので 所在もはっきりしていて、しかも戦国という動乱の中で 戦よりも和解に、破壊よりも創造と芸術に力を注いだ文化人 権力者に対して意地と誇りと己の正義を貫いた武人 そして、何よりも家康が最も恐れた天下の大茶人 古田織部も是非、大河で主人公にしてやってもらいたいものである。 (そういうオチか...) 徒然書 2007/6/24 AQ |
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