徒然雑記



直江兼続

この人物の評価を大きくしているものに「直江状」というものがある。
後世の創作という噂もあるが真意の程は定かでない。
文面を見る限りでは少々高慢だが頭が切れて、痛いとこ突いてくる。
そんな印象を持ってしまうのは確かだ。
そのうち大河ドラマでやるので内容は差し控えさせていただくが
いずれにせよ上杉景勝が上洛しなかった事で
関ヶ原の引き金になった事には違いない。

この「直江状」については賛否両論ある。
へりくだらず、へつらわず
一言で「痛快」、権謀術数渦巻く戦国の世にあって
あれほど胸のすかっとする文章はないなど、現代では極めて評価が高い。

しかし、反対の意見もある。
例えば「真田太平記」の中で
池波正太郎さんは「直江状」について全く評価していない

「真田太平記」自体が信濃の小大名である真田家が
乱世の中で家を存続させるという事に重きを置いて書かれているので
真田の名を天下に轟かせた弟の真田幸村よりも
持てる全ての知略をめぐらして戦国江戸の世に家を存続させた
兄の真田信幸の方を幸村よりも高く高く評価している。
しかし、真田にしても、ただただ強い物に巻かれていただけではない
自らのお家の存亡をかけて上田で2度も生きるか死ぬかの戦いをして、
徳川軍を2度とも撃退している。
曲げる事が出来ない信念は絶対に曲げない。

そんな事を踏まえて、大名家を存続させる事がどれ程大変な事かを考えると
お家の存亡に関係のない権力争いの中に身を置き
いたずらに家康に対する挑戦状ともとれる「直江状」が
いかに危険極まりない書状であったかが納得できる。

十分に勝算あっての反旗であったろうが、しかし...
関ヶ原で西軍は敗走し、西軍に与した大名は取り潰しや領地没収の憂目にあい

上杉家は取り潰しは免れたものの
会津120万石から直江家の直轄する出羽米沢30万石へと減封に処される。

領地が減り収入の減った上杉家株式会社ではあったが
専務取締役の直江は従業員をリストラせずに苦しい懐具合ながら、
そのまま継続して雇い続けた。

直江も偉かったであろうが、家臣団もよく我慢して
上杉、直江についていったという事だ。
例えば、今まで年収400万円だった上杉家のサムライリーマンが
4分の1の100万円になってしまっても
質素な生活をして、トップを信じて耐え忍んで生きていったという事だ。
現代風に言えばワークシェアリングとでも言うのか、
仕事とお給料は皆で分け合いましょうという事だ

直江はやがて米沢の地で細ぼそながら産業を興し国を富ませ
上杉家と家臣団は幕末まで存続する。


最近では不況渦巻き、派遣切りや従業員のリストラをする
現代の大企業とはえらい違いと言われて
タイミングよくこれもまた高く評価されてしまっているが、
ソニーなりトヨタなりで
「売上が4分の1になったので給料も4分の1になります」なんてやったら
どこでも雇ってもらえる優秀な従業員から先に辞めてしまうだろうし
何よりも労組が黙っていないだろう。
現代のそれと重ね合わせるのには少々無理があり
あの時代と今世紀を混同してはいけないとは思うのだが...


「直江状」など存在してもしなくても
直江兼続という人物はトップに立つ人間としては
武士としての筋を清く正しく貫き、正義を第一とし
逆境にあっても家臣団をよく取りまとめ、
雪深い田舎の地で殖産興業し、
幕末まで上杉家を存続させる為の礎を築いた立派な人物であったろう事は
確かであり
400年経った今でも米沢の地で「直江公」と慕われる姿は
現代に生きる企業経営者や企業の従業員にも見習うべき部分は
多くあるのではないかと思う。



徒然書 2009/1/12 AQ



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